日本史編⑦ 平安初期は神秘的!?
この記事は、9世紀の平安時代について書かれています。
歴史が嫌いだったり、苦手な中高生が少しでも興味をもてるように、なるべく簡潔に分かりやすく書きました。この記事を読み終わるころには平安時代についての理解が深まっているでしょう。もちろん、中高生以外の方々も大歓迎です!赤い文字の箇所は重要な用語でもありますので、一緒に覚えていきましょう。
平安時代の初期(9世紀頃)は晩唐文化の影響を受けた「弘仁・貞観文化」が流行りました。弘仁・貞観文化とは、暗く内密で神秘的な文化(密教芸術等)であり、晩唐の密教の影響を受けたものでした。
平安時代(794年〜1185年)は、日本の歴史の中で約400年間続いた時代です。この時代は、桓武天皇が平安京(現在の京都)に遷都したことから始まり、鎌倉幕府の成立まで続きました。特に9世紀は、平安時代の初期にあたり、多くの重要な出来事が起こりました。
平安京への遷都と初期の政治
794年、桓武天皇は平城京から平安京に遷都しました。この遷都の目的は、仏教勢力の影響を排除し、中央集権的な律令政治を再建することでした。桓武天皇は、東北地方の蝦夷(えみし)を征討するために坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷征討を進めました。
藤原氏の台頭と摂関政治
9世紀には、藤原氏が政治の中心に台頭してきました。藤原氏は、天皇の外戚(母方の親族)として権力を握り、摂政や関白として政治を主導しました。特に藤原良房や藤原基経が摂政・関白として活躍し、藤原氏の権力は絶頂期を迎えました。
遣唐使の廃止と国風文化の発展
894年、菅原道真の進言により遣唐使が廃止されました。これにより、日本は唐の影響から離れ、独自の文化を発展させることができました。この時期に生まれた文化を「国風文化」と呼びます。国風文化の特徴として、仮名文字の発明や『竹取物語』、『古今和歌集』、『源氏物語』などの文学作品の誕生があります。
武士の台頭
9世紀の後半には、地方の豪族たちが自らの土地を守るために武装し始め、武士が台頭してきました。これにより、平安時代の後半には武士が政治の中心に立つようになり、後の鎌倉幕府の成立へと繋がっていきます。
主要な出来事
薬子の変(810年): 平城天皇の復位を図った藤原薬子とその兄藤原仲成が起こした反乱。嵯峨天皇により鎮圧されました。
承和の変(842年): 藤原良房が他氏排斥を行い、藤原氏の権力を強化しました。
応天門の変(866年): 応天門が放火され、伴善男が犯人として処罰されました。この事件を契機に藤原良房が摂政に就任しました。
感想
9世紀の平安時代は、桓武天皇の遷都から始まり、藤原氏の台頭、遣唐使の廃止、国風文化の発展、そして武士の台頭といった多くの重要な出来事があるということが分かった。またこの時代は、日本の独自の文化が花開き、後の中世への移行期として非常に重要な時期であると感じた。
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